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安土桃山・2説併記東軍 対 西軍 対 寝返り

関ヶ原の戦いの布陣図

  • 慶長5年9月15日
  • 岐阜県 不破郡関ケ原町

図1 インタラクティブ3D布陣図

表示中の説: 通説

既定説の要旨 — 通説(参謀本部編『日本戦史 関原役』1893年) による

明治26年(1893)に旧陸軍参謀本部が編纂した『日本戦史 関原役』の記述と附図に基づく理解。石田三成を笹尾、宇喜多秀家を天満山前、小早川秀秋を松尾山、毛利秀元を南宮山に置き、午前8時頃の開戦、正午近くの小早川秀秋の寝返り、午後2時半の追撃中止という時系列を示す。現在流布している関ヶ原の布陣図の多くはこの附図を踏襲したものとされる。

典拠: [1]日本戦史 関原役 / [2]日本戦史 関原役 附図・附表

目次
  1. インタラクティブ3D布陣図
  2. 地形と布陣を読む解説
  3. 静止布陣図と説の比較
  4. 章立て
  5. 採用説の切替
  6. 部隊と兵力
  7. 時系列
  8. 凡例と注記 — この図の読み方
  9. 出典一覧
  10. この合戦をもっと読む — 関連書籍

関ヶ原の戦いの布陣図を読む — 地形・時系列・新説の違い

この合戦を一言で

関ヶ原の戦いの布陣図を読むときは、まず「どの史料や研究に基づく図か」を確認してください。このページでは、慶長五年九月十五日の関ヶ原本戦について、参謀本部編『日本戦史 関原役』をもとにした通説と、白峰旬による史料の再検討を切り替えて比較できます。同じ部隊名でも、置かれる場所や出来事の順序は一致しません。立体的な図は位置関係を考える手がかりですが、当日の戦場をそのまま記録した映像ではありません。

先に関ヶ原のインタラクティブ布陣図で全体を見てから、以下の解説と出典一覧を往復すると、表示の違いを確かめられます。見たい部隊を一つ選び、説を切り替えたときに位置・時刻・注記がどう変わるかを比べる読み方もできます。

地形を読む

『日本戦史 関原役』は、関ヶ原を山に囲まれた谷地として説明し、中山道・北国街道・牧田路が集まる場所として記述しています。図では、まず山と低地の位置関係をつかみ、そのあとに各隊の表示を重ねてください。道路や地名の記述と、現在の標高から見える地形は、確認の方法が異なる情報です。出典:日本戦史 関原役

このサイトの立体地形は、産総研地質調査総合センターの現代の標高データを使っています。当時の河道・池・堀・植生・街道を復元したものではありません。白峰の研究も、史料に現れる池や堀を現在の場所へ当てはめる際には検討が必要だとしています。画面上に流路や尾根が見えることだけから、そこで進路が塞がれた、そこが敗因だった、と結び付けることはできません。

布陣 — 地点と推定範囲を分ける

通説の表示では、石田三成を笹尾山、宇喜多秀家を天満山の前、小早川秀秋を松尾山に置く理解を採っています。これらは『日本戦史 関原役』の記述や附図に基づく表示です。地図上のマーカーが一点に置かれていても、全ての隊について当日の緯度経度が史料から分かるという意味ではありません。出典:附図・附表

白峰説では、石田三成方の主力を山中エリアの推定範囲で扱い、大谷吉継の隊はそこから東方へ離れた位置に出ていたと解釈します。小早川秀秋についても、開戦時には松尾山の山上ではなく、その前の岡にいた可能性を論じています。ここで重要なのは、通説のマーカーを別の一点へ動かすことだけではなく、具体的な場所を確定できない情報を、そのまま不確定なものとして読むことです。出典:白峰旬の新解釈

図や部隊表に「推定範囲」「位置不詳」「順序のみ」が出る場合は、その注記も位置情報の一部です。兵力についても、表示がないことを人数ゼロと読み替えないでください。白峰の論文が部隊ごとの具体的な兵数を示していない箇所には、別の説の数値を補っていません。

時系列 — 説を固定して順序を追う

通説では、午前八時頃の開戦、正午近くの小早川秀秋の寝返り、その後の西軍諸隊の崩れ、午後二時半頃の追撃中止という流れが描かれます。これは同書の記述を並べた時間軸です。時刻を一点で表示する場面でも、異なる史料に共通する確定時刻と扱わず、いま選択している説の記述として読んでください。

白峰は、早朝の関ヶ原エリアでの戦闘と、その後の山中エリアでの戦闘という段階を分けて考察しています。比較するときは、まず通説のまま年表を最後まで追い、次に白峰説へ切り替えて同じ部隊の動きを確認すると、異なる説の出来事を一つの時間軸に混ぜずに済みます。別の説の開始時刻と終了時刻を組み合わせて、戦闘時間を算出することも避けてください。

通説と新説 — 問鉄砲はどう扱うか

家康が小早川の動向を促すために鉄砲を撃たせたとする、いわゆる「問鉄砲」は、通説の筋立てに現れます。一方で白峰は、江戸時代の編纂史料を検討し、この話を後世の創作と論じています。このページでは、よく知られた逸話であることと、歴史的事実として確かめられることを分け、両方の説明を出典とともに示しています。出典:問鉄砲の研究

「新説」という表示だけで正しさが決まるわけでもありません。通説がどの書物や附図を用い、再検討がどの史料を根拠にしているかを比較してください。布陣図に疑問を呈する研究があることは、表示中の全ての位置を直ちに別の位置へ確定できることと同じではありません。出典:布陣図に関する考察

その後を調べる前に — 現在の陣跡との距離

合戦のあとに整えられた陣跡の案内も、当日の記録とは区別して扱う必要があります。白峰は、現在知られる陣跡の位置を考える際に、その成立事情へ注意を促しています。現地の表示とこの布陣図が一致する場合も、位置の一致だけで史料の裏付けが増えたとは判断できません。ここでは戦後処理の全体像までを説明せず、収録した戦闘経過と布陣の根拠を確認できる範囲を示しています。

もっと知る

まず下の出典一覧で、参謀本部の編纂書と白峰の研究論文を別々に確認してください。原文のページや図を確かめると、本文に書かれた情報と、このサイトが表示のために補間した情報を見分けやすくなります。さらに読む本は関連書籍にまとめています。書名だけで説を判断せず、対象としている史料・論点・刊行時期も確認しながら読んでください。

静止布陣図と説の比較

3Dを表示できない環境向け。3Dが動く環境では畳んで表示します。

図2 静止布陣図(平面)と説の比較を開く/閉じる
関ヶ原の戦いの各隊の布陣位置を、地形図の範囲と同じ緯度経度の枠に投影した概略図。地形の起伏は描かれていない。
図2 関ヶ原の戦い 布陣位置の概略(既定説)。地形の起伏は描いていない

慶長5年9月15日、岐阜県不破郡関ケ原町(美濃国不破郡 関ヶ原)。明治26年(1893)に旧陸軍参謀本部が編纂した『日本戦史 関原役』の記述と附図に基づく理解。石田三成を笹尾、宇喜多秀家を天満山前、小早川秀秋を松尾山、毛利秀元を南宮山に置き、午前8時頃の開戦、正午近くの小早川秀秋の寝返り、午後2時半の追撃中止という時系列を示す。現在流布している関ヶ原の布陣図の多くはこの附図を踏襲したものとされる。

説の比較

説要旨よりどころ
通説(参謀本部編『日本戦史 関原役』1893年)既定表示
1893年提示
明治26年(1893)に旧陸軍参謀本部が編纂した『日本戦史 関原役』の記述と附図に基づく理解。石田三成を笹尾、宇喜多秀家を天満山前、小早川秀秋を松尾山、毛利秀元を南宮山に置き、午前8時頃の開戦、正午近くの小早川秀秋の寝返り、午後2時半の追撃中止という時系列を示す。現在流布している関ヶ原の布陣図の多くはこの附図を踏襲したものとされる。日本戦史 関原役/日本戦史 関原役 附図・附表
白峰旬の新解釈(島津家家臣史料に基づく再構成)
2016年提示
別府大学の白峰旬による研究。『旧記雑録後編三』所収の島津家家臣史料を検討し、石田三成方の主力本隊は山中エリアに密集して布陣していたと解釈する。大谷吉継隊だけは主力本隊から離れて東方の関ヶ原エリアに突出しており、早朝に家康方軍勢と小早川秀秋の軍勢に挟撃されて壊滅した、と論じる。『日本戦史 関原役』の布陣図(関原本戦之図)は明治時代に参謀本部が独自に作成した図で創作(フィクション)の要素が強いと論じて無批判な引用を戒め、「問鉄砲」も江戸時代の家康神話創出を背景とする創作であると結論づけている。なお同論文は、石田三成の笹尾山布陣を否定する高橋陽介・乃至政彦の見解を紹介し、自らの史料検討がそれを裏付けるものだと述べている。関ヶ原の戦いにおける石田三成方軍勢の布陣位置についての新解釈-なぜ大谷吉継だけが戦死したのか-/関ヶ原の戦いの布陣図に関する考察/フィクションとしての「問鉄砲」(パート1) : 家康神話創出の一事例(その2)/フィクションとしての「問鉄砲」(パート2) : 家康神話創出の一事例(その2)

書籍リンク

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章立て

盆地の地形と街道

伊吹山地の南端で中山道・北国街道・牧田路が交わる関ヶ原の盆地を、現代の標高データで俯瞰する。『日本戦史 関原役』は、この平原を東西およそ2000メートル・南北およそ1800メートルのほぼ四辺形の谷地と記している。

注現代地形を使用しています(当時の河道・池・堀・植生・街道は異なる場合があります)

布陣(通説)

通説では、西軍の陣地は北の相川山の麓に起こり、南に延びて天満山・山中村を過ぎ松尾山に至り、さらに南宮山上から岡ケ鼻に及んだとされる。東軍は午前3時から中山道を西上し、黎明に先鋒が関ヶ原駅に達したが濃霧のためほとんど視界がなかったとされる。

注布陣は通説(参謀本部編『日本戦史 関原役』1893)に基づく推定表示です

開戦

通説では、午前7時を過ぎても戦闘は始まらず、松平忠吉と井伊直政が騎士30人を率いて進み、午前8時頃に宇喜多隊へ向けて戦端を開いたとされる。

注通説では午前8時頃に戦端が開かれたとされます

小早川の裏切り

通説では、正午が近づいても勝敗が決しないため、家康が松尾山へ「誘導の銃」を撃たせ、小早川秀秋が山を下って大谷隊を襲い、脇坂・朽木・小川・赤座の四隊も離反したとされる。白峰旬はこの「問鉄砲」を江戸時代の創作と論じている。

注「問鉄砲」は江戸時代の創作とする研究があります

西軍崩壊

通説では、小西隊がまず敗退し、次いで宇喜多隊が崩れ、午後に至って石田隊も潰え、三成は西北の山間に逃れたとされる。南宮山の諸隊は最後まで動かなかったとされる。

注崩壊の順序は通説の記述に基づく推定です

島津の退き口

通説では、西軍が崩壊したのち止まって戦うのは島津の一隊のみとなり、島津惟新は全隊を一団として記章を去り馬標を折り、東南に向けて敵中を突破したとされる。午後2時半に家康の追撃中止の令があったとされる。

注退路は通説の記述から補間した推定経路です

通説と新説

白峰旬は島津家家臣史料から、石田三成方の主力本隊が山中エリアに密集して布陣し、大谷吉継隊だけが関ヶ原エリアに突出して早朝に挟撃され壊滅した、と解釈する。戦場は「関ヶ原」と「山中」の二か所であり、どちらの位置比定も正しいことになる、とも述べている。

注布陣図には諸説があります。位置が確定できない部隊は「位置不詳」と表示します

採用説の切替

切替できるのは表示だけです。どの説も確定した事実ではなく、当サイトは通説と異説を併記します。

通説(参謀本部編『日本戦史 関原役』1893年)既定表示

要旨(冒頭の「既定説の要旨」と同文)

明治26年(1893)に旧陸軍参謀本部が編纂した『日本戦史 関原役』の記述と附図に基づく理解。石田三成を笹尾、宇喜多秀家を天満山前、小早川秀秋を松尾山、毛利秀元を南宮山に置き、午前8時頃の開戦、正午近くの小早川秀秋の寝返り、午後2時半の追撃中止という時系列を示す。現在流布している関ヶ原の布陣図の多くはこの附図を踏襲したものとされる。

よりどころ
[1]日本戦史 関原役 / [2]日本戦史 関原役 附図・附表
提示
1893年
注記(この説の扱い)

編纂から130年以上を経た二次史料であり、近年は史料批判の対象になっている。断定ではなく「通説では」という枠で紹介する。

白峰旬の新解釈(島津家家臣史料に基づく再構成)

別府大学の白峰旬による研究。『旧記雑録後編三』所収の島津家家臣史料を検討し、石田三成方の主力本隊は山中エリアに密集して布陣していたと解釈する。大谷吉継隊だけは主力本隊から離れて東方の関ヶ原エリアに突出しており、早朝に家康方軍勢と小早川秀秋の軍勢に挟撃されて壊滅した、と論じる。『日本戦史 関原役』の布陣図(関原本戦之図)は明治時代に参謀本部が独自に作成した図で創作(フィクション)の要素が強いと論じて無批判な引用を戒め、「問鉄砲」も江戸時代の家康神話創出を背景とする創作であると結論づけている。なお同論文は、石田三成の笹尾山布陣を否定する高橋陽介・乃至政彦の見解を紹介し、自らの史料検討がそれを裏付けるものだと述べている。

よりどころ
[3]関ヶ原の戦いにおける石田三成方軍勢の布陣位置についての新解釈-なぜ大谷吉継だけが戦死したのか- / [4]関ヶ原の戦いの布陣図に関する考察 / [5]フィクションとしての「問鉄砲」(パート1) : 家康神話創出の一事例(その2) / [6]フィクションとしての「問鉄砲」(パート2) : 家康神話創出の一事例(その2)
提示
2016年
注記(この説の扱い)

現存する研究者の学説であり、敬意ある中立的なトーンで紹介する。論文の図表・布陣図は転載せず、文章記述からの自前の座標化のみを行う。高橋陽介・乃至政彦・笠谷和比古の著書は本データでは現物を確認していないため、独立した説としては立てず、白峰旬2016論文の紹介を経由した言及にとどめる。

部隊と兵力

兵力は史料・研究によって幅があります。各行は表示中の説(通説)の値で、 他の説の値は行内に畳んでいます(切替は採用説の切替から)。凡例:史料の記載研究者の解釈制作上の補間(推定)

時系列

時刻の記載がない出来事は時刻欄を空け、史料の記す前後関係の順に並べています。章を開くと出来事と説明が読めます。

  1. 第一章盆地の地形と街道出来事 2 件午前1時頃〜午前3時頃
    1. 午前1時頃西軍が大垣を発し関ヶ原に到着

      通説/ 史料の記載/ 典拠: [1]日本戦史 関原役(以下 1 件も同じ)

    2. 午前3時頃東軍が中山道を西上
  2. 第二章布陣(通説)出来事 4 件午前4時頃〜午前7時過ぎ
    1. 午前4時頃島津惟新隊が小池村に着陣

      通説/ 史料の記載/ 典拠: [1]日本戦史 関原役(以下 3 件も同じ)

    2. 黎明東軍先鋒が関ヶ原に到達・濃霧
    3. 家康が桃配山に馬を駐める
    4. 午前7時過ぎ午前7時を過ぎても戦闘始まらず
  3. 第三章開戦出来事 4 件午前8時頃
    1. 午前8時頃松平忠吉・井伊直政が戦端を開く

      通説/ 史料の記載/ 典拠: [1]日本戦史 関原役(以下 3 件も同じ)

    2. 時刻不詳(順序のみ)福島正則が宇喜多隊を射撃
    3. 午前8時頃黒田長政が石田前隊の側面を突く
    4. 時刻不詳(順序のみ)藤堂高虎・京極高知が大谷隊を攻撃
  4. 第四章小早川の裏切り出来事 8 件午前9時過ぎ〜正午頃
    1. 午前9時過ぎ家康が駅の東口まで前進

      通説/ 史料の記載/ 典拠: [1]日本戦史 関原役(以下 7 件も同じ)

    2. 時刻不詳(順序のみ)三成が烽火を挙げるが南宮山・松尾山は応じず
    3. 午前11時頃家康がさらに前進
    4. 正午近く家康が松尾山へ「誘導の銃」を撃たせる
    5. 正午頃小早川秀秋が松尾山を下り大谷隊へ
    6. 時刻不詳(順序のみ)大谷隊が小早川隊を撃退
    7. 時刻不詳(順序のみ)脇坂・朽木・小川・赤座の四隊が離反
    8. 時刻不詳(順序のみ)大谷吉継が自刃し大谷隊が壊滅
  5. 第五章西軍崩壊出来事 4 件午後
    1. 時刻不詳(順序のみ)小西隊が敗退

      通説/ 史料の記載/ 典拠: [1]日本戦史 関原役(以下 3 件も同じ)

    2. 時刻不詳(順序のみ)宇喜多隊が崩れる
    3. 午後石田隊が潰え三成が北西の山間へ逃れる
    4. 時刻不詳(順序のみ)南宮山の諸隊は動かず伊勢へ退く
  6. 第六章島津の退き口出来事 3 件午後2時半
    1. 時刻不詳(順序のみ)島津隊が敵中を突破して退く

      通説/ 史料の記載/ 典拠: [1]日本戦史 関原役(以下 2 件も同じ)

    2. 午後2時半家康が追撃中止を命じる
    3. 時刻不詳(順序のみ)家康が藤川の高地で首実検
  7. 第七章通説と新説出来事 5 件早朝〜巳の刻(午前10時頃)
    1. 早朝第一段階: 関ヶ原エリアで大谷隊が挟撃され壊滅

      白峰説/ 研究者の解釈/ 典拠: [3]関ヶ原の戦いにおける石田三成方軍勢の布陣位置についての新解釈-なぜ大谷吉継だけが戦死したのか-(以下 4 件も同じ)

    2. 小早川秀秋が岡から攻め下る
    3. 巳の刻(午前10時頃)第二段階: 山中エリアで主力本隊が先制攻撃を受ける
    4. 時刻不詳(順序のみ)主力本隊がドミノ倒しのように崩れる
    5. 時刻不詳(順序のみ)開戦時点で兵力差があったとする解釈

凡例と注記 — この図の読み方

読み方

諸説あります。布陣の位置・兵力・時刻はいずれも史料によって食い違い、研究によって解釈が分かれます。 当ページの図と表は、どれか一つの説を正解として示すものではありません。 「史料の記載」「研究者の解釈」「制作上の補間(推定)」を区別して表示しています。

史料の記載研究者の解釈制作上の補間(推定)

本文中の典拠番号 [n] は、下の「出典一覧」の同じ番号の文献を指します。 3D布陣図は一度に一つの配置しか描けないため、切替をしない限り既定説の配置を表示します。

陣営
  • 東軍東軍(徳川家康方)
  • 西軍西軍(石田三成方)
  • 寝返り西軍として布陣し戦闘中に東軍へ寝返ったとされる部隊
日付・場所・地形データ・利用条件・データ出典(この図の注記)
日付について

慶長5年9月15日(グレゴリオ暦 1600-10-21)

和暦から西暦への換算値。参謀本部編『日本戦史 関原役』は本文で「東西両軍ノ決戦ハ九月十五日ニシテ其地ハ関ケ原駅附近ナリ」とし、「九月十五日」に「大陽暦十月廿一日」と傍注している(199頁、NDLコマ111)。本データの1600-10-21はこの傍注と一致する。0.1.3までは全文テキストのOCRを「十月十六日」と読んで不一致としていたが、2026-09-24 に Claude(AI照合)が原本画像で読み誤りを確認して訂正した。

場所

岐阜県 不破郡関ケ原町(美濃国不破郡 関ヶ原)

地形

地形: 産総研地質調査総合センター シームレス標高タイル 統合DEM(原典: 国土地理院 基盤地図情報数値標高モデル DEM5A/DEM10B)

現代地形を使用しています(当時の河道・池・堀・植生・街道は異なる場合があります)

当時の水系(河道・池・堀)は未検証のため、勝敗の原因として水系を説明することはしていません。

利用条件

利用条件: 国土地理院コンテンツ利用規約(地理院タイル) 規約本文

出典表示: https://tiles.gsj.jp/tiles/elev/tiles.html https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html

タイルセットの詳細

統合DEM(mixed) のデータソースは仕様ページ記載の優先度順に 兵庫県_全域数値地形図ポータル(DEM)、国土地理院 西之島付近の噴火活動関連情報、国土地理院 基盤地図情報数値標高モデル DEM5A/5B/5C、同 DEM10B、ASTER GDEM 003、GEBCO Grid である。兵庫県域・西之島以外の日本陸域 zoom10〜15 は国土地理院 基盤地図情報数値標高モデル(DEM5A/5B/5C、低ズームは DEM10B)が実体になる(兵庫県内を対象にする場合は出典表記が変わるので source_datasets の優先度順に確認すること)。仕様ページで CC BY 4.0 と明記されているのは静岡県 VIRTUAL SHIZUOKA 由来のタイルセット(sourceID=shizuoka)のみである。地理院タイルは出典明示のうえ https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html へのリンクを付けて利用する。2026-09-11の国土地理院回答により、本プロジェクトが照会した統合DEMの複製保存・動画掲載・Web表示について測量法の手続きは不要と確認した。回答の適用範囲と産総研側の利用条件は docs/external_evidence/gsi_reply_20260911.md を参照する。

データ

布陣・兵力: 参謀本部編『日本戦史 関原役』(1893) / 新説: 白峰旬の研究(別府大学)ほか

布陣・兵力・時系列には諸説があります。本作は通説と新説を切り替えて表示し、位置が確定できない部隊は推定範囲または「位置不詳」として扱っています。地形データの出典表記は knowledge/battles/sekigahara/terrain/terrain.json の credit_ja に揃えています(統合DEM の日本陸域の実体は国土地理院 基盤地図情報数値標高モデルです)。

出典一覧

出典一覧(全 7 件)を開く本文の典拠番号 [n] はこの一覧の番号です
  1. 参謀本部 編 『日本戦史 関原役』

    博聞社(奥付の印刷兼発売所。NDL書誌の出版者表記は元真社)/1893年 / 編纂史料/ 学術二次文献 / 原典ページを見る ↗

    注記(所在・確認方法)

    奥付(NDLコマ210)は「明治二十六年六月廿七日印刷・明治二十六年六月三十日発行」、版権所有 参謀本部、印刷兼発売者 長尾景弼、印刷兼発売所 博聞社(東京市京橋区銀座四丁目壹番地)。NDLデジタルコレクション公開分(pid 771069)は IIIF manifest が「日本戦史. 関原役(初版)」/出版者 元真社/出版年 明26/書誌ID 000000430552/請求記号 77-30/全215コマ/利用条件 PDM と示す。本編の第五篇 第二章「本戦」は199-217頁(コマ111-120)、附記 第三章「兵数」は385-393頁(コマ204-208)。附図・附表は別冊(pid 771071・44コマ・同一書誌ID)。

    明治26年に旧陸軍参謀本部が編纂した戦史。本文・兵数表は次世代デジタルライブラリーの全文テキストAPI(https://lab.ndl.go.jp/dl/api/book/fulltext/771069)のOCRで下調べし、2026-09-24 に Claude(AI照合、DECISIONS D-015)がNDLの原本画像(IIIF)と照合した。人による現物確認ではない。照合記録は knowledge/battles/sekigahara/source_review_2026-09-24.md。

  2. 参謀本部 編 『日本戦史 関原役 附図・附表』

    博聞社(奥付の印刷兼発売所。NDL書誌の出版者表記は元真社)/1893年 / 編纂史料/ 一般向け二次文献 / 原典ページを見る ↗

    注記(所在・確認方法)

    全44コマ。附表第一号「豊臣諸侯表」(コマ3ほか)と、本編が「附図第五号」として参照する「関原本戦之図」(コマ27-29、二万分一。凡例に「此図ハ慶長五年九月十五日午前八時前後東西両軍ノ位置ヲ示ス」とあり、隊形は古記に徴すべきものが無いため仮に長さで兵数を表すと断る)を収める。附表に部隊別の兵数表は無い。奥付(コマ39)は本編と同じ。

    保護期間満了資料のため転載自体は可能だが、本プロジェクトでは図をトレースせず、本編の文章記述と実在地名の座標から自前で位置を組み立てる方針とする。

  3. 白峰 旬 『関ヶ原の戦いにおける石田三成方軍勢の布陣位置についての新解釈-なぜ大谷吉継だけが戦死したのか-』

    別府大学史学研究会/2016年 / 論文/ 学術二次文献 / 原典ページを見る ↗

    注記(所在・確認方法)

    『史学論叢』46号(2016年3月)151-163頁。別府大学機関リポジトリでオープンアクセス公開(sg04610.pdf)。

    公開PDFの本文を取得して内容を確認した。本文は151頁から159頁上段まで(159頁下段以降は[註]・【付記】、163頁は図1)。2026-09-24 に Claude(AI照合、D-015)が本文全体を照合した。図表(図1)の転載は不可。本データは論文の文章記述からの自前の座標化のみを行う。

  4. 白峰 旬 『関ヶ原の戦いの布陣図に関する考察』

    別府大学会/2013年 / 論文/ 学術二次文献 / 原典ページを見る ↗

    注記(所在・確認方法)

    『別府大学大学院紀要』15号(2013年3月)55-86頁。

    0.1.3までは公開PDFのテキスト抽出ができず著者抄録のみで主張を確認していた。2026-09-24 に Claude(AI照合、D-015)が公開PDF(gk01504.pdf・32頁)の本文を抽出して通読し、要旨・第1章・第3章・おわりにと照合した。図表(図1-3・表1-4)は転載しない。

  5. 白峰 旬 『フィクションとしての「問鉄砲」(パート1) : 家康神話創出の一事例(その2)』

    別府大学会/2013年 / 論文/ 学術二次文献 / 原典ページを見る ↗

    注記(所在・確認方法)

    『別府大学紀要』54号(2013年2月)67-78頁。

    著者自身による抄録で結論(「問鉄砲」は江戸時代の創作とする)を確認していた。2026-09-24 に Claude(AI照合、D-015)が公開PDF(dk05406.pdf・12頁)の要旨と本文を照合した。

  6. 白峰 旬 『フィクションとしての「問鉄砲」(パート2) : 家康神話創出の一事例(その2)』

    別府大学会/2013年 / 論文/ 学術二次文献 / 原典ページを見る ↗

    注記(所在・確認方法)

    『別府大学大学院紀要』15号(2013年3月)35-53頁。

    パート1の続編。2026-09-24 に Claude(AI照合、D-015)が公開PDF(gk01503.pdf・19頁)の要旨と「おわりに」を照合した。

  7. 『国土地理院 地名検索API(地理院地図)』

    国土地理院/2026年 / データベース/ 事典・要覧 / 原典ページを見る ↗

    注記(所在・確認方法)

    「石田三成陣地」「徳川家康最初陣地」「開戦地」「最後決戦地」「岡山烽火場」「松尾山」「天満山」「南宮山」「池寺池」「十九女池」「大谷吉隆墓」「黒血川」「東首塚」「西首塚」および関ケ原町の大字代表点を取得。

    取得日 2026-09-05。利用条件は knowledge/data_licenses.json の gsi_tiles / gsi_placenames を参照。現在の陣跡比定そのものの史料的根拠については白峰2016論文の指摘(claim c_jinato_hitei)を参照。

この合戦をもっと読む — 関連書籍

布陣図の元になった史料・研究にあたるための本です。書影と書誌は楽天ブックス・openBD・国立国会図書館サーチから取得しています。

  • 書影
    なし

    新「関ケ原合戦」論 定説を覆す史上最大の戦いの真実

    白峰旬/新人物往来社/2011-03/ISBN 9784404039927

    新説側の中心となる提唱書。旧参謀本部『日本戦史 関原役』に由来する通説の布陣・戦闘経過を一次史料から問い直す。battle_data の theories で「新説」を採る際の底本。

  • 『新解釈関ケ原合戦の真実』書影

    新解釈関ケ原合戦の真実 脚色された天下分け目の戦い

    白峰旬/宮帯出版社/2014-10/ISBN 9784863669284

    同じ著者による新説の各論。合戦の脚色(後世の軍記・絵図による演出)がどこで入ったかを論点別に整理しており、通説と新説の差分を claim 単位で作るときの参照元。

ほか 4 冊を表示
  • 『戦争の日本史(17)』書影

    戦争の日本史(17)

    笠谷和比古/吉川弘文館/2007-11/ISBN 9784642063272

    関ヶ原から大坂の陣までを一続きの政治過程として扱う概説。合戦単体ではなく前後の政治情勢を解説記事の導入に使うための出典。

  • 書影
    なし

    一次史料にみる関ケ原の戦い

    高橋陽介/星雲社/2017-04/ISBN 9784434231681

    一次史料(書状類)のみから合戦の推移を再構成する試み。開戦時刻・布陣位置など通説と食い違う論点の出所を確認するための書目。

  • 書影
    なし

    天下分け目の関ケ原の合戦はなかった 一次史料が伝える"通説を根底から覆す"真実とは-

    乃至政彦・高橋陽介/河出書房新社/2018-05/ISBN 9784309248608

    新説を一般向けに提示した対談・共著。動画のフック(通説がどこで崩れるか)を作る際の平易な説明の参照元。

  • 『関ヶ原大乱、本当の勝者』書影

    関ヶ原大乱、本当の勝者

    日本史史料研究会/朝日新聞出版/2020-06/ISBN 9784022950802

    複数の研究者による論集で、関ヶ原前後の諸勢力の動向を分担執筆で扱う。諸説併記が必要な論点について複数の立場を確認するための書目。

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