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戦国・2説併記武田方 対 上杉方

第四次川中島の戦いの布陣図

  • 永禄4年9月10日
  • 長野県 長野市南部

図1 インタラクティブ3D布陣図

表示中の説: 通説(軍鑑系)

既定説の要旨 — 通説(『甲陽軍鑑』に由来し明治の戦史読み物が広めた理解) による

『甲陽軍鑑』に由来する筋立てを、明治44年の日本戦史学会編『川中島の戦』が読み物にまとめた理解である。上杉政虎(謙信)が妻女山に旗を樹てて海津城を見下ろし、武田信玄が二万の軍を一万二千の正兵と八千の奇兵に分け、正兵が夜のうちに妻女山へ向かい、奇兵が川中島に先回りして待ち受けたとされる。謙信は海津城の炊煙から敵の動きを察して夜のうちに山を下り、朝霧の晴れた八幡原で両軍が正面から衝突したと記される。信玄と謙信の一騎討ちも同書の筋立てに含まれる。

典拠: [1]川中島の戦(日本戦史叢書) / [2]甲陽軍鑑 坤(甲斐叢書 第5巻)

目次
  1. インタラクティブ3D布陣図
  2. 地形と布陣を読む解説
  3. 静止布陣図と説の比較
  4. 章立て
  5. 採用説の切替
  6. 部隊と兵力
  7. 時系列
  8. 凡例と注記 — この図の読み方
  9. 出典一覧
  10. この合戦をもっと読む — 関連書籍

川中島の戦いの布陣図 — 妻女山・海津城と伝承の読み方

第四次の合戦を、何に基づいて描くか

このページが扱うのは、永禄四年九月十日とされる第四次川中島合戦です。この日付は『甲陽軍鑑』の記述によるもので、甲斐の『妙法寺年録』は同じ年の合戦を十月十日のこととして記しています。どちらが正しいかは、このページでは判断していません。出典:妙法寺年録

妻女山、海津城、八幡原を結ぶ有名な筋立てがありますが、細かな配置や動きをすべて同時代の文書で確かめられるわけではありません。布陣図を読む際は、物語として詳しいことと、場所や出来事が確実に分かることを区別する必要があります。

川中島のインタラクティブ布陣図では、軍鑑系の叙述に基づく表示と、位置・兵力を慎重に扱う比較表示を切り替えられます。後者は特定の研究者の新しい布陣を忠実に復元した図ではありません。このページで直接確認できた情報の範囲を示すもので、研究の結論を一つにまとめたものでもありません。

千曲川と犀川の間を見る

長野市は、千曲川と犀川に挟まれた川中島一帯で第四次の戦いが行われたと紹介しています。まず広域の地形で川と平地、周辺の山の関係を見てから、妻女山や海津城の表示へ進むと、夜の行軍として語られる場面を読みやすくなります。出典:長野市の史跡公園案内

立体地形は現代の標高データによるものです。永禄年間の河道、水量、渡河地点を再現した地図ではありません。現在の川の位置から、当日の渡り方や通行の可否を決めることはできません。表示上の経路も、史料が記す緯度経度の列を再生しているわけではなく、地名などをもとにした制作上の補間です。

とくに渡しの名が出てくる場面では、地名を知っているだけで経路が確定すると思わないことが大切です。たとえば収録した物語は、上杉勢が雨の宮の渡しを渡らず、上流の渡し場へ向かったと述べています。軍全体の動きと、後備の隊が留まった場所を同じ経路にまとめないようにしてください。

通説の表示が参照する本

通説側が主に参照するのは、日本戦史学会編『川中島の戦』という明治期の読み物です。参謀本部編『日本戦史』の川中島の巻を出典としているわけではありません。同書は『甲陽軍鑑』に由来する筋立てを、妻女山の布陣、炊煙、軍の分割、夜の移動、一騎打ちへとつなげて語ります。出典:川中島の戦

その記述では、武田信玄が正兵を妻女山へ向かわせ、別の兵を川中島で待ち受けさせようとしたとされます。上杉政虎は海津城の炊煙から動きを察し、夜に山を下りたと語られます。この図で一連の動きを見るときは、あくまでその本が描く経過の表示として読んでください。

よく知られた戦法名にも注意が必要です。収録した本は正兵・奇兵という区分で説明しており、後世に広まった呼び名をそのまま原文の語として引用してはいません。短い戦法名だけでは、史料がどの隊に何をさせようとしていたかが見えにくくなります。

朝の衝突と、その後の場面

同書は、妻女山へ向かった隊が山に着いたときには敵影がなく、川中島では霧が晴れると上杉勢が迫っていたと記します。その後に信玄と政虎の斬り結び、妻女山へ向かった兵の到着、上杉勢の退去という場面を続けています。詳しい叙述がある一方、各場面の歴史的な確度は別に検討しなければなりません。

長野市は一騎打ちを、多くの伝説が残る合戦の一つの語りとして紹介しています。長野市立博物館も、三太刀七太刀の跡や執念の石を「伝えられています」という形で案内しています。現在の石碑や伝承地があることを、そのまま場面の事実証明へ読み替えないことが大切です。出典:博物館の公園案内

兵力の表示がない隊をどう読むか

物語には武田方の総勢二万、妻女山へ向かう一万二千、待ち受ける八千という数が現れ、上杉方には一万三千余という数が記されます。これは同書に記された集団の規模です。各武将の隊が正確に何人だったかを一覧できる資料とは異なります。

人数の記されない隊を、総数から均等に割り振って歴史的な兵数とすることはできません。本データにも不詳を扱う表示用の枠がありますが、その枠を推計値として読むものではありません。名札に人数がない場合は、兵がいなかったのではなく、参照した情報から数を示せないことを表しています。

比較表示では、隊ごとの兵力や所在が分からないものを不詳として扱います。書誌しか確認していない研究書から、それらしい人数や配置を補うこともしていません。画面が簡素になる場合も、資料の限界を見える形で残すためです。

史跡の場所と、部隊の場所

長野市は八幡社を信玄が本陣を築いた場所として紹介し、海津城を松代城の始まりとして案内しています。こうした現在の史跡案内は位置を探す手がかりになります。ただし、史跡の座標と当日の部隊全体の広がりは同じ情報ではありません。出典:松代城の歴史

このページの比較表示は、確認できた史跡以外の部隊を位置不詳にするなど、叙述と場所の確度を分けています。複数の研究者が同じ位置を支持したという意味ではありません。『甲陽軍鑑』の成立や文書をめぐる研究があることは確認していますが、本文未入手の著書を読了した扱いにはしていません。

さらに読むために

まず通説側の本を開き、興味のある場面がどの言葉で語られているかを確かめてください。次に市や博物館の解説を見ると、同じ一騎打ちでも伝承として紹介されることが分かります。出典の性格を比較することで、図のどこまでが物語の可視化なのかが見えてきます。

関連書籍には史料研究を深める入口をまとめています。書誌の確認と内容の検証を分け、具体的な主張を知りたい場合は原文に戻ってください。この布陣図も、今後の原本照合によって見直す余地を残して読む資料です。

静止布陣図と説の比較

3Dを表示できない環境向け。3Dが動く環境では畳んで表示します。

図2 静止布陣図(平面)と説の比較を開く/閉じる
第四次川中島の戦いの各隊の布陣位置を、地形図の範囲と同じ緯度経度の枠に投影した概略図。地形の起伏は描かれていない。
図2 第四次川中島の戦い 布陣位置の概略(既定説)。地形の起伏は描いていない

永禄4年9月10日、長野県長野市南部から千曲市北部にかけての川中島一帯(信濃国更級郡・埴科郡)。『甲陽軍鑑』に由来する筋立てを、明治44年の日本戦史学会編『川中島の戦』が読み物にまとめた理解である。上杉政虎(謙信)が妻女山に旗を樹てて海津城を見下ろし、武田信玄が二万の軍を一万二千の正兵と八千の奇兵に分け、正兵が夜のうちに妻女山へ向かい、奇兵が川中島に先回りして待ち受けたとされる。謙信は海津城の炊煙から敵の動きを察して夜のうちに山を下り、朝霧の晴れた八幡原で両軍が正面から衝突したと記される。信玄と謙信の一騎討ちも同書の筋立てに含まれる。

説の比較

説要旨よりどころ
通説(『甲陽軍鑑』に由来し明治の戦史読み物が広めた理解)既定表示
1911年提示
『甲陽軍鑑』に由来する筋立てを、明治44年の日本戦史学会編『川中島の戦』が読み物にまとめた理解である。上杉政虎(謙信)が妻女山に旗を樹てて海津城を見下ろし、武田信玄が二万の軍を一万二千の正兵と八千の奇兵に分け、正兵が夜のうちに妻女山へ向かい、奇兵が川中島に先回りして待ち受けたとされる。謙信は海津城の炊煙から敵の動きを察して夜のうちに山を下り、朝霧の晴れた八幡原で両軍が正面から衝突したと記される。信玄と謙信の一騎討ちも同書の筋立てに含まれる。川中島の戦(日本戦史叢書)/甲陽軍鑑 坤(甲斐叢書 第5巻)
史料批判の立場(『甲陽軍鑑』の史料性を検討し伝承と区別する理解)
1994年提示
『甲陽軍鑑』の本文と成立を検討し、同時代の文書から戦国大名の動きを組み立て直す研究の立場である。酒井憲二の『甲陽軍鑑大成』、黒田日出男の史料論、鴨川達夫の文書研究、村石正行の検証、海老沼真治が紹介した新出の武田信玄自筆書状などがこの流れに属すると位置づけられる。長野市はこの戦いを、信玄と謙信の一騎打ちなど多くの伝説を残した激戦と紹介しており、園内の三太刀七太刀之跡や執念の石も「伝える」「伝わる」という形で説明されている。本データはこの立場では、史跡として位置が示されている八幡社・海津城跡・妻女山だけに部隊を置き、その他の部隊は位置不詳として扱う。甲陽軍鑑大成 全7巻/『甲陽軍鑑』の史料論 : 武田信玄の国家構想/武田信玄と勝頼 : 文書にみる戦国大名の実像/川中島の戦い : 戦史ドキュメント 上・下/検証 川中島の戦い/第四次川中島合戦直前の武田氏―新出の武田信玄自筆書状から―/川中島古戦場史跡公園のご案内(長野市公式ホームページ)/公園さんぽ(長野市立博物館)

書籍リンク

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章立て

妻女山と海津城

この章が映すのは、対陣の最終日にあたる九月九日の配置である。通説では、政虎は八月十四日に春日山を発し、千曲川を越えて妻女山に旗を樹て、海津城を見下ろしたと記される。信玄は甲陽の精兵二万を従えて八月二十四日に川中島に達し、茶臼山に登って陣したのち、二十九日に広瀬の渡を越えて海津城に入ったと記される。九月朔日から九日までの対陣が、この日まで続いていたと記される。

注山と城の位置は国土地理院の地名検索と史跡からの推定表示です

炊煙と二つの軍

通説では、政虎は妻女山の上から海津城の炊煙が二度に及ぶのを見て敵の動きを察したと記される。同じ夜、信玄は軍を正兵一万二千と奇兵八千に分け、正兵で妻女山を攻め、奇兵で川中島に待ち受ける策を採ったと記される。この策はしばしば啄木鳥の戦法と呼ばれるが、『川中島の戦』(1911)は大正・大奇という語で記している。

注海津城の位置は松代城跡(国史跡)からの推定表示です

夜の行軍

通説では、越軍は九日の亥の上刻に妻女山を打ち立ち、正兵は子の刻に、奇兵は丑の刻に海津城を発ったと記される。同書は越軍が雨の宮の渡しを渉らず、遥かに川上の渡し場を越えて川中島に赴いたと記しており、政虎の計画として記される「雨の宮の渡を越へ」という言と食い違っている。

注夜の行軍の経路は史料の記述からの推定表示です

朝霧の八幡原

通説では、越軍が川中島に達したのは寅の刻とされる。妻女山へ向かった正兵は山に至ったが、捨篝があるのみで敵影は無かったと記される。卯の上刻に朝霧が晴れると、越軍一万三千が二三丁の距離に迫っていたと記される。

注八幡原の位置は八幡社(川中島古戦場史跡公園)からの推定表示です

車懸りと三太刀七太刀

通説では、越軍は備えを繰り替える車懸りという陣法で攻めかかったと記される。武田信繁が討たれ、諸角昌清が奮闘し、山本晴行が死を決して進んだと記される。政虎が信玄に斬りかかり、信玄が軍配で受けたという場面も同書にある。長野市はこの一騎打ちを、多くの伝説の一つとして紹介している。

注一騎打ちは長野市が伝説として紹介する場面です

戻ってきた一万二千

通説では、妻女山へ向かっていた一万二千が八幡原へ馳せ来たと記される。越軍は総崩れとなって政虎は犀川を渡り、後備の甘糟景時が甲軍と戦いながら引き揚げたと記される。戦いは卯刻に始まり申刻に及び、越軍が前に勝ち甲軍が後に勝ったと記されている。

注退き口の経路は史料の記述からの推定表示です

軍鑑と史料批判

通説の筋立ての大もとは『甲陽軍鑑』にあり、明治44年の読み物がそれを広めたとされる。一方で同書の本文と成立を検討する研究が積み重ねられており、酒井憲二の校訂、黒田日出男の史料論、鴨川達夫の文書研究、村石正行の検証などが刊行されている。長野市は一騎打ちを含む多くの伝説を残した激戦として紹介しており、本データは史料批判の立場では史跡以外の布陣を位置不詳として扱っている。

注布陣・兵力・時系列には諸説があります

採用説の切替

切替できるのは表示だけです。どの説も確定した事実ではなく、当サイトは通説と異説を併記します。

通説(『甲陽軍鑑』に由来し明治の戦史読み物が広めた理解)既定表示

要旨(冒頭の「既定説の要旨」と同文)

『甲陽軍鑑』に由来する筋立てを、明治44年の日本戦史学会編『川中島の戦』が読み物にまとめた理解である。上杉政虎(謙信)が妻女山に旗を樹てて海津城を見下ろし、武田信玄が二万の軍を一万二千の正兵と八千の奇兵に分け、正兵が夜のうちに妻女山へ向かい、奇兵が川中島に先回りして待ち受けたとされる。謙信は海津城の炊煙から敵の動きを察して夜のうちに山を下り、朝霧の晴れた八幡原で両軍が正面から衝突したと記される。信玄と謙信の一騎討ちも同書の筋立てに含まれる。

よりどころ
[1]川中島の戦(日本戦史叢書) / [2]甲陽軍鑑 坤(甲斐叢書 第5巻)
提示
1911年
注記(この説の扱い)

この筋立ての大もとは『甲陽軍鑑』であり、同書の史料としての性格は現在も研究上の議論の対象になっている。断定ではなく「通説では」という枠で紹介する。なお、しばしば「啄木鳥の戦法」と呼ばれる別働隊の策について、『川中島の戦』(1911)は「大正」「大奇」(正兵・奇兵)という語で記しており、啄木鳥の語を使っていない。

史料批判の立場(『甲陽軍鑑』の史料性を検討し伝承と区別する理解)

『甲陽軍鑑』の本文と成立を検討し、同時代の文書から戦国大名の動きを組み立て直す研究の立場である。酒井憲二の『甲陽軍鑑大成』、黒田日出男の史料論、鴨川達夫の文書研究、村石正行の検証、海老沼真治が紹介した新出の武田信玄自筆書状などがこの流れに属すると位置づけられる。長野市はこの戦いを、信玄と謙信の一騎打ちなど多くの伝説を残した激戦と紹介しており、園内の三太刀七太刀之跡や執念の石も「伝える」「伝わる」という形で説明されている。本データはこの立場では、史跡として位置が示されている八幡社・海津城跡・妻女山だけに部隊を置き、その他の部隊は位置不詳として扱う。

よりどころ
[10]甲陽軍鑑大成 全7巻 / [11]『甲陽軍鑑』の史料論 : 武田信玄の国家構想 / [9]武田信玄と勝頼 : 文書にみる戦国大名の実像 / [8]川中島の戦い : 戦史ドキュメント 上・下 / [12]検証 川中島の戦い / [13]第四次川中島合戦直前の武田氏―新出の武田信玄自筆書状から― / [4]川中島古戦場史跡公園のご案内(長野市公式ホームページ) / [5]公園さんぽ(長野市立博物館)
提示
1994年
注記(この説の扱い)

現存する研究者を含む学説であり、敬意ある中立的なトーンで紹介する。本データは平山優・鴨川達夫・酒井憲二・黒田日出男・村石正行・海老沼真治の著書論文の現物を確認していないため、個々の研究者が何を論じたかを claim には書いていない。書かれているのは「そうした研究が刊行されている」ことと、長野市・長野市立博物館の解説が伝承として紹介していることだけである。

部隊と兵力

兵力は史料・研究によって幅があります。各行は表示中の説(通説(軍鑑系))の値で、 他の説の値は行内に畳んでいます(切替は採用説の切替から)。凡例:史料の記載研究者の解釈制作上の補間(推定)

時系列

時刻の記載がない出来事は時刻欄を空け、史料の記す前後関係の順に並べています。章を開くと出来事と説明が読めます。

  1. 第一章妻女山と海津城出来事 1 件
    1. 九月朔日から九日までの対陣

      通説(軍鑑系)/ 史料の記載/ 典拠: [1]川中島の戦(日本戦史叢書)

    この章の出来事の説明(1 件)
    九月朔日から九日までの対陣
    『川中島の戦』(1911)は九月朔日より九日に至るまでの対陣を記す。本データの時系列は対陣の最終日にあたる九月九日から始めており、t_min はその日のどこに置くかを決めた制作上の値で、時刻の主張ではない。八月十四日の春日山出立から二十九日の海津城入りまでの経緯は、章の要旨(chapters[ch_taijin].summary_ja)と claims に記した。
  2. 第二章炊煙と二つの軍出来事 2 件九月九日の夜
    1. 九月九日の夜政虎、海津城の炊煙を見る

      通説(軍鑑系)/ 史料の記載/ 典拠: [1]川中島の戦(日本戦史叢書)(以下 1 件も同じ)

    2. 九月九日の夜軍議、正兵一万二千と奇兵八千に分ける
  3. 第三章夜の行軍出来事 3 件亥の上刻(午後11時頃)〜丑の刻(午前2時頃)
    1. 亥の上刻(午後11時頃)越軍、妻女山を打ち立つ

      通説(軍鑑系)/ 史料の記載/ 典拠: [1]川中島の戦(日本戦史叢書)(以下 2 件も同じ)

    2. 子の刻(午前0時頃)正兵一万二千、海津城を発ち妻女山へ向かう
    3. 丑の刻(午前2時頃)奇兵八千、海津城を発ち三枚畑に陣する
    この章の出来事の説明(1 件)
    越軍、妻女山を打ち立つ
    『川中島の戦』(1911)は、越軍が雨の宮の渡しを渉らず、遥かに川上の渡し場を越えて川中島に赴いたと記している。経路は3D上には引いていない。
  4. 第四章朝霧の八幡原出来事 3 件寅の刻(午前4時頃)〜卯の刻(午前6時頃)
    1. 寅の刻(午前4時頃)越軍、川中島に到る

      通説(軍鑑系)/ 史料の記載/ 典拠: [1]川中島の戦(日本戦史叢書)(以下 2 件も同じ)

    2. 正兵、妻女山に至るも敵影なし
    3. 卯の刻(午前6時頃)八幡原で両軍が衝突する
    この章の出来事の説明(2 件)
    正兵、妻女山に至るも敵影なし
    『川中島の戦』(1911)は、行軍の末に妻女山へ至ると捨篝があるのみで敵影が無かったと記す。原本はこの箇所の刻限を「行軍二時餘の下刻(四時)」と記して刻名を書いていないため time_ja を置かない。t_min は前後関係を表すための値であり、時刻の主張ではない(同書の表記に合わせて越軍の到着と同じ位置に置いた)。
    八幡原で両軍が衝突する
    『川中島の戦』(1911)は、朝霧が晴れると越軍が二三丁の距離に迫っていたと記す。
  5. 第五章車懸りと三太刀七太刀出来事 5 件
    1. 越軍、車懸りで攻めかかる

      通説(軍鑑系)/ 史料の記載/ 典拠: [1]川中島の戦(日本戦史叢書)(以下 4 件も同じ)

    2. 武田信繁が討たれる
    3. 諸角昌清が奮闘する
    4. 山本晴行、死を決して進む
    5. 両将が斬り結ぶ(三太刀七太刀)
    この章の出来事の説明(5 件)
    越軍、車懸りで攻めかかる
    時刻は出典に記載がないため time_ja を置かない。t_min は前後関係を表す値である。
    武田信繁が討たれる
    時刻は出典に記載がないため time_ja を置かない。t_min は前後関係を表す値である。
    諸角昌清が奮闘する
    時刻は出典に記載がないため time_ja を置かない。t_min は前後関係を表す値である。
    山本晴行、死を決して進む
    時刻は出典に記載がないため time_ja を置かない。t_min は前後関係を表す値である。
    両将が斬り結ぶ(三太刀七太刀)
    時刻は出典に記載がないため time_ja を置かない。t_min は前後関係を表す値である。
  6. 第六章戻ってきた一万二千出来事 4 件申の刻(午後4時頃)
    1. 正兵一万二千が八幡原に馳せ来る

      通説(軍鑑系)/ 史料の記載/ 典拠: [1]川中島の戦(日本戦史叢書)(以下 3 件も同じ)

    2. 越軍、犀川の方へ退く
    3. 甘糟景時、戦いながら引き揚げる
    4. 申の刻(午後4時頃)戦いが終わる
    この章の出来事の説明(3 件)
    正兵一万二千が八幡原に馳せ来る
    時刻は出典に記載がないため time_ja を置かない。t_min は前後関係を表す値である。
    越軍、犀川の方へ退く
    時刻は出典に記載がないため time_ja を置かない。t_min は前後関係を表す値である。
    甘糟景時、戦いながら引き揚げる
    時刻は出典に記載がないため time_ja を置かない。t_min は前後関係を表す値である。
  7. 第七章軍鑑と史料批判出来事 1 件
    1. 軍鑑の筋立てと、その後の史料批判

      通説(軍鑑系)・史料批判/ 研究者の解釈/ 典拠: [12]検証 川中島の戦い

    この章の出来事の説明(1 件)
    軍鑑の筋立てと、その後の史料批判
    この項目は史跡と研究の現在を示すためのもので、当日の出来事ではない。t_min は章に収めるための値であり、時刻の主張ではない。

凡例と注記 — この図の読み方

読み方

諸説あります。布陣の位置・兵力・時刻はいずれも史料によって食い違い、研究によって解釈が分かれます。 当ページの図と表は、どれか一つの説を正解として示すものではありません。 「史料の記載」「研究者の解釈」「制作上の補間(推定)」を区別して表示しています。

史料の記載研究者の解釈制作上の補間(推定)

本文中の典拠番号 [n] は、下の「出典一覧」の同じ番号の文献を指します。 3D布陣図は一度に一つの配置しか描けないため、切替をしない限り既定説の配置を表示します。

陣営
  • 武田方武田方(武田信玄の軍勢)
  • 上杉方上杉方(上杉政虎の軍勢)
日付・場所・地形データ・利用条件・データ出典(この図の注記)
日付について

永禄4年9月10日

『甲陽軍鑑』(甲斐叢書 第5巻・品第四十八)は「其年九月十日に、川中島合戦の時」と記す。一方、甲斐叢書 第8巻所収の『妙法寺年録』は同年の合戦を「十月十日」と記し(claim c_date_myohoji)、『川中島の戦』(1911)は決戦の朝を「秋は八月十日の曉」と記しており、月の記載は史料によって異なる。本データは日付の表示を『甲陽軍鑑』に拠るが、いずれが正しいかは判断していない。グレゴリオ暦への換算は本データでは行っていない。

場所

長野県 長野市南部から千曲市北部にかけての川中島一帯(信濃国更級郡・埴科郡)

地形

地形: 産総研地質調査総合センター シームレス標高タイル 統合DEM(原典: 国土地理院 基盤地図情報数値標高モデル DEM5A/DEM10B)

現代地形を使用しています(当時の千曲川・犀川の河道、渡し場、湿地、植生、街道は異なる場合があります)

当時の水系(河道・池・堀)は未検証のため、勝敗の原因として水系を説明することはしていません。

利用条件

利用条件: 国土地理院コンテンツ利用規約(地理院タイル) 規約本文

出典表示: https://tiles.gsj.jp/tiles/elev/tiles.html https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html

タイルセットの詳細

統合DEM(mixed) のデータソースは仕様ページ記載の優先度順に 兵庫県_全域数値地形図ポータル(DEM)、国土地理院 西之島付近の噴火活動関連情報、国土地理院 基盤地図情報数値標高モデル DEM5A/5B/5C、同 DEM10B、ASTER GDEM 003、GEBCO Grid である。兵庫県域・西之島以外の日本陸域 zoom10〜15 は国土地理院 基盤地図情報数値標高モデル(DEM5A/5B/5C、低ズームは DEM10B)が実体になる(兵庫県内を対象にする場合は出典表記が変わるので source_datasets の優先度順に確認すること)。仕様ページで CC BY 4.0 と明記されているのは静岡県 VIRTUAL SHIZUOKA 由来のタイルセット(sourceID=shizuoka)のみである。地理院タイルは出典明示のうえ https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html へのリンクを付けて利用する。2026-09-11の国土地理院回答により、本プロジェクトが照会した統合DEMの複製保存・動画掲載・Web表示について測量法の手続きは不要と確認した。回答の適用範囲と産総研側の利用条件は docs/external_evidence/gsi_reply_20260911.md を参照する。

データ

通説の経過・兵力: 日本戦史学会編『川中島の戦』(1911) / 日付: 『甲陽軍鑑』(甲斐叢書 第5巻・1933) / 史跡解説: 長野市・長野市立博物館 / 座標: 国土地理院 地名検索API

布陣・兵力・時系列には諸説があります。本作は通説と史料批判の立場を切り替えて表示し、位置が確定できない部隊は推定範囲または「位置不詳」として扱っています。地形データの出典表記は knowledge/battles/kawanakajima/terrain/terrain.json の credit_ja に揃えます。

出典一覧

出典一覧(全 15 件)を開く本文の典拠番号 [n] はこの一覧の番号です
  1. 日本戦史学会 編 『川中島の戦(日本戦史叢書)』

    豊文館/1911年 / 編纂史料/ 一般向け二次文献 / 原典ページを見る ↗

    注記(所在・確認方法)

    国立国会図書館デジタルコレクション公開分(pid 772624)は IIIF manifest が「川中島の戦」/編者 日本戦史学会/出版者 豊文館/出版年 明44.7/書誌ID 000000431183/請求記号 特61-768/DOI 10.11501/772624/全115コマ と示す。第四次(永禄4年)の記事は「(十六)川中島大快戦に入る」以下、コマ52からコマ109までにある。

    明治44年に日本戦史学会が編んだ通俗戦史叢書の一冊で、『甲陽軍鑑』に由来する筋立てをルビ付きの読み物に仕立てたものである。旧陸軍参謀本部編『日本戦史』(元真社、明26-44)とは別の本で、参謀本部の『日本戦史』に川中島役の巻は無い(NDLサーチのタイトル検索「川中島役」は0件)。本文は次世代デジタルライブラリーの全文テキストAPI(https://lab.ndl.go.jp/dl/api/book/fulltext/772624)で取得したOCRテキストにより機械的に確認した。OCRはルビを本文行に取り込むため語順が崩れる箇所があり、原本画像との照合が必須である。

  2. 甲斐叢書刊行会 編 『甲陽軍鑑 坤(甲斐叢書 第5巻)』

    甲斐叢書刊行会/1933年 / 編纂史料/ 一般向け二次文献 / 原典ページを見る ↗

    注記(所在・確認方法)

    国立国会図書館デジタルコレクション公開分(pid 1209127)は IIIF manifest が「甲斐叢書.第5巻」/出版者 甲斐叢書刊行会/出版年 昭和8/書誌ID 000000740843/請求記号 652-7/全320コマ と示す。巻頭の凡例は「本巻には、甲陽軍鑑品第四十七より品第五十九大尾までの四巻を載せ、更に同末書と信玄全集末書とを収載す」と記す。永禄4年の川中島合戦への言及は品第四十八(コマ26-27、頁41・43)と、巻末の『甲陽軍鑑末書』九品之五「馬印二本子細の事」(コマ128、頁231)にある。

    『甲陽軍鑑』は武田信玄・勝頼期の記述を伝える軍学書で、通説の筋立ての大もとにあたる。この版は昭和8年に甲斐叢書刊行会が翻刻した坤巻で、保護期間満了によりNDLデジタルコレクションで公開されている。第四次川中島合戦そのものを叙述する品第三十九を含む乾巻(甲斐叢書 第4巻・1933年刊)は、NDLデジタルコレクションに公開分が見当たらなかったため本データでは使っていない。本文は次世代デジタルライブラリーの全文テキストAPIで取得したOCRテキストにより機械的に確認した。同書の史料としての性格には研究上の議論があり、扱いは theories を参照。

  3. 甲斐叢書刊行会 編 『妙法寺年録(妙法寺記)(甲斐叢書 第8巻)』

    甲斐叢書刊行会/1935年 / 編纂史料/ 学術二次文献 / 原典ページを見る ↗

    注記(所在・確認方法)

    国立国会図書館デジタルコレクション公開分(pid 1209134)は IIIF manifest が「甲斐叢書.第8巻」/出版者 甲斐叢書刊行会/出版年 昭和10/書誌ID 000000740845/請求記号 652-7/全308コマ と示す。永禄四年の条はコマ155(頁294、柱「妙法寺年録」)。同頁の奥書は、甲斐国南都留郡勝山浅間神社蔵本を旧山梨県志編纂会本により謄写し、続史籍集覧本と校合したと記す(昭和十年四月、赤岡重樹校)。

    甲斐の妙法寺に伝わる年代記を昭和10年に翻刻したもの。本データは2026-09-24に原本画像(コマ155)で永禄四年の条を確認した。記事の成立時期や写本間の異同は本データで検討していない。

  4. 長野市 『川中島古戦場史跡公園のご案内(長野市公式ホームページ)』

    長野市/2026年 / 自治体資料/ 事典・要覧 / 原典ページを見る ↗

    注記(所在・確認方法)

    2026-09-06 に取得した本文。公園の紹介文と園内の史跡の記述。 2026-09-24 に再取得して照合し、該当の記述が残っていることを確認した。

    自治体の公式解説。年号表記・史跡の位置づけの確認に使う。取得日時点の記述であり、改稿の可能性がある。

  5. 長野市立博物館 『公園さんぽ(長野市立博物館)』

    長野市/2026年 / 博物館/ 事典・要覧 / 原典ページを見る ↗

    注記(所在・確認方法)

    2026-09-06 に取得した本文。川中島古戦場史跡公園内の史跡(三太刀七太刀の跡・執念の石・首塚・千人塚・八幡社旧社殿・逆槐・徳本塚・古井戸)の解説。 2026-09-24 に再取得して照合し、該当の記述が残っていることを確認した。

    公立博物館の解説。園内史跡が「伝えられています」という形で紹介されていることの確認に使う。

  6. 長野市 『松代城の歴史(長野市公式ホームページ)』

    長野市/2026年 / 自治体資料/ 事典・要覧 / 原典ページを見る ↗

    注記(所在・確認方法)

    2026-09-06 に取得した本文。海津城の築城と国史跡指定の記述。 2026-09-24 に再取得して照合し、該当の記述が残っていることを確認した。

    自治体の公式解説。海津城=松代城跡という比定と築城年の確認に使う。

  7. 国土地理院 『国土地理院 地名検索API(AddressSearch)』

    国土地理院/2026年 / データベース/ 一次史料 / 原典ページを見る ↗

    注記(所在・確認方法)

    2026-09-06 に問い合わせた返り値。妻女山・松代城跡・川中島古戦場史跡公園・千曲市雨宮・長野市篠ノ井岡田・長野市小島田町・茶臼山動物園ほか。 2026-09-24 に同じ語で問い合わせ直し、妻女山・松代城跡・川中島古戦場史跡公園・千曲市雨宮・茶臼山動物園・松代町岩野・小島田町が同じ点を返すことを確認した。

    座標化にのみ使う。史料は緯度経度を示していないため、本データの座標はすべて制作上の補間である。

  8. 平山優 『川中島の戦い : 戦史ドキュメント 上・下』

    学習研究社/2002年 / 書籍/ 学術二次文献 / 原典ページを見る ↗

    注記(所在・確認方法)

    学研M文庫。上巻 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003574250 (ISBN 4-05-901126-6)/ 下巻 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003574251 (ISBN 4-05-901134-7)(いずれも2002.6刊)

    本データでは書誌事項のみを確認し、本文は入手していない。内容の要約は claim に書いていない。

  9. 鴨川達夫 『武田信玄と勝頼 : 文書にみる戦国大名の実像』

    岩波書店/2007年 / 書籍/ 学術二次文献 / 原典ページを見る ↗

    注記(所在・確認方法)

    岩波新書。2007.3 刊。

    本データでは書誌事項のみを確認し、本文は入手していない。内容の要約は claim に書いていない。

  10. 酒井憲二 『甲陽軍鑑大成 全7巻』

    汲古書院/1994年 / 書籍/ 学術二次文献 / 原典ページを見る ↗

    注記(所在・確認方法)

    第1巻(本文篇上)1994.4 / 第2巻(本文篇下)1994.8 / 第3巻(索引篇)1994.12 / 第4巻(研究篇)1995.1 / 第5〜7巻(影印篇上中下)1997.10-1998.1。

    本データでは書誌事項のみを確認し、本文は入手していない。内容の要約は claim に書いていない。

  11. 黒田日出男 『『甲陽軍鑑』の史料論 : 武田信玄の国家構想』

    校倉書房/2015年 / 書籍/ 学術二次文献 / 原典ページを見る ↗

    注記(所在・確認方法)

    2015.2 刊。ISBN 978-4-7517-4590-8。同名の論文連載(『立正大学文学部論叢』124号ほか、2006年〜)を踏まえた単著。

    本データでは書誌事項のみを確認し、本文は入手していない。内容の要約は claim に書いていない。

  12. 村石正行 『検証 川中島の戦い』

    吉川弘文館/2024年 / 書籍/ 学術二次文献 / 原典ページを見る ↗

    注記(所在・確認方法)

    2024.3 刊。ISBN 978-4-642-05988-6。

    本データでは書誌事項のみを確認し、本文は入手していない。内容の要約は claim に書いていない。

  13. 海老沼真治 『第四次川中島合戦直前の武田氏―新出の武田信玄自筆書状から―』

    戦国史研究会/2018年 / 論文/ 学術二次文献 / 原典ページを見る ↗

    注記(所在・確認方法)

    『戦国史研究』75号(2018年)、p.34-35。

    本データでは書誌事項のみを確認し、本文は入手していない。内容の要約は claim に書いていない。

  14. 町田ゆかり 『川中島の戦いと旗塚』

    長野市/2022年 / 論文/ 学術二次文献 / 原典ページを見る ↗

    注記(所在・確認方法)

    『市誌研究ながの』(長野市総務部庶務課 編)29号、2022年3月、p.136-154。

    本データでは書誌事項のみを確認し、本文は入手していない。内容の要約は claim に書いていない。

  15. 町田ゆかり 『「雨宮の渡し」に関する考察』

    長野市/2025年 / 論文/ 学術二次文献 / 原典ページを見る ↗

    注記(所在・確認方法)

    『市誌研究ながの』(長野市総務部庶務課 編)32号、2025年3月、p.33-52。

    本データでは書誌事項のみを確認し、本文は入手していない。内容の要約は claim に書いていない。渡河地点の論点があることの手掛かりとして挙げる。

この合戦をもっと読む — 関連書籍

布陣図の元になった史料・研究にあたるための本です。書影と書誌は楽天ブックス・openBD・国立国会図書館サーチから取得しています。

  • 『検証 川中島の戦い』書影

    検証 川中島の戦い

    村石正行/吉川弘文館/2024-02/ISBN 9784642059886

    村石正行『検証 川中島の戦い』(歴史文化ライブラリー588, 吉川弘文館, 2024)。長野県立歴史館の研究者が、川中島の五度の対戦を同時代の文書と在地の史料から検証しなおした最新の一冊。本データが open_issues に残している最大の穴、すなわち『甲陽軍鑑』系の通説に対して史料批判の側が何を主張しているのかを claim として書けていない点を、直接埋めるための第一の書目。

  • 書影
    なし

    川中島の戦い 戦史ドキュメント 上

    平山優/学習研究社/2002-06/ISBN 9784059011262

    第四次川中島の戦いを正面から扱う戦史書の上巻。天文22年の第一次から永禄4年の第四次までの経過を、甲越双方の史料を突き合わせて追う。battle_data の通説(軍鑑系)の筋立てと、それがどの史料に由来するかを claim 単位で確認するための第一の参照元。

ほか 4 冊を表示
  • 書影
    なし

    川中島の戦い 戦史ドキュメント 下

    平山優/学習研究社/2002-06/ISBN 9784059011347

    同書の下巻。第四次合戦の当日と、その後の北信濃の帰趨を扱う。本データの open_issues に残っている「史料批判側(新説)の claim が具体化できていない」点を埋めるための第一候補で、啄木鳥の戦法・車懸り・一騎打ちといった通説の各場面をどう評価するかの参照元になる。

  • 書影
    なし

    武田信玄と勝頼 文書にみる戦国大名の実像

    鴨川達夫/岩波書店/2007-03/ISBN 9784004310655

    武田信玄・勝頼の発給文書そのものを読み解く新書。軍記物ではなく同時代文書から戦国大名像を組み直す立場で、本データが『甲陽軍鑑』系の記述に依存していることの限界を測る物差しになる。theories の revisionist(史料批判)側を具体化するときの参照元。

  • 書影
    なし

    上杉謙信 「義の武将」の激情と苦悩

    今福匡/講談社/2018-10/ISBN 9784065131084

    上杉謙信(長尾景虎・上杉政虎)の評伝。本データは合戦当時の名を上杉政虎として扱っているが、その改名の経緯と、関東出兵から川中島出兵に至る政治的な動機を、上杉側の視点で確認するための書目。

  • 書影
    なし

    川中島の戦いと北信濃 武士・民衆もうひとつの真実

    長野市民新聞株式会社/信濃毎日新聞社/2009-03/ISBN 9784784071029

    北信濃の側から川中島の合戦を扱う通史。合戦を甲越二大名の対決としてではなく、村上氏をはじめとする在地の武士と民衆の側から見る視点を与える。landmarks に置いた雨宮・広瀬・小島田・丹波島といった土地の来歴と、戦後の北信濃の帰属を解説記事の背景に使うための書目。

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